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ヨガテリアのイチオシのイベント
あの頃はキャンドルを必死で作ってた。
もう5年目でしょうか?不定期に開催してきて、ずっと満席です。
5年前の、第一回目はキャンドルも20個くらいで、クオリティも低かった。初回からもちろん自作のキャンドルでしたが、それは資金の関係で作るしかなかったって事を、今回参加者さんにお話しました。
一時期は僕のキャンドルを、雑貨屋さんでも販売してもらったりしてた。今はお蔭様で、ヨガテリアの業務に追われていますが笑。
あの頃は、キャンドルを必死で作ってた。
ご存知ですか?キャンドルの炎は不規則なリズムなんです。そう。規則正しくないんです。
そしてその不規則なリズムこそが、α波の周波数であり、人間が心地よいと感じるんです。
キャンドルを見ていると僕は、人の一生にも見えてくるときがあります。一個一個が不規則に瞬いていて、それを見ていると、「その瞬間は一瞬しかないんじゃないか?」と感じて、いつまでも見ていたくなる。
今も。そしてまた今も。
その今の瞬間を、さっきの瞬間と比べることはナンセンスで、もちろん他のキャンドルの不規則さと比べることが無意味なのは言うまでもない。
もちろんいつもキャンドルを見ていてそういった感情になるわけではない。
ヨガをして、呼吸をして、時間がゆっくり流れた時にだけ、僕の中の心の「上っ貼り」が剥がれた時に、ようやく現れる部分。
いつもは忙しい中に生きているし、考えることが多すぎて、そんな悠長な事を感じてもいられないのかもしれない。
余計な何がが剥がれていく。
僕は、それをキャンドルヨガをしたら、しっかりと感じられるんです。
その瞬間にキャンドルが、いつも僕に話しかけているような感覚を得ます。
不規則なリズムが、僕に生き様を見せてくれているような、そして何かを語ってくれているような。
その姿や、言葉は、自分にとってすごく大切なことで、新たな気づきもあれば、忘れかけていた事を思い出させてくれることもあります。
今回の参加者さんの中に、ヨガの先生がいらっしゃって、このキャンドルヨガの最中の僕のインストラクション(声かけの言葉のことです)の事で質問を受けて、そしてすごく参考にしたいと言ってくださった。
それは僕にとって、すごく嬉しい事で、ヨガ人生を全部、いや人生ごと肯定されたくらいの気持ちになります。
僕が、キャンドルヨガの最中のインストラクションが他の先生と違うのだとしたら、それは、ボキャブラリーでも、テクニックでもなく、さっきご紹介した、キャンドルが僕に語りかけてくれる「絵」が僕の中にあるからだと思います。
それを皆さんに口で説明するのではなく、キャンドルヨガを通して、「体験」してもらえるようにご案内するつもりで行なっています。
年度の始めや、ちょうど年度の間の6月あたり、あるいは年度末に行うのも、そのためなんです。数ヶ月に1度しか開催しないのにもそう言った意味が隠されています。
あ、あと僕自身のエネルギー的な問題ね。意外と全身全霊使ってるので連発できないんですね^^