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自分の人生を歩いているつもりであった日々。
愛知県豊橋市のヨガスタジオ-ヨガテリア代表SATORUです。
今日は、僕の自己紹介とともに、ヨガに出会った時のお話をさせていただきます。
京都で生まれ、京都で育ちました。現在は愛知県豊橋市在住です。ヨガスタジオ経営者であり、ヨガインストラクターをしています。
私は幼い頃から独特な感性の子供でした。10人が右を行っても平気で左に行く。自分の思った通りにやりきらないと、手足をバタバタして全身で抵抗するような子だったのです。
母曰く、
「本当に変わった子だった」
「小学校に行って団体生活ができるのか不安」
であったようです。
それが、学校に通い社会に出て、「協調性」という言葉の大切さを知ってしまいました。
もちろん「協調性」はすごく大事です。「協調性」を重んじて行動される方を私はすごく尊敬します。しかし私はある勘違いをしたままに人生を送ってしまいました。
それは、「協調性」を大切にすることは、自分の個性を押し殺すことであり、それこそが幸せな道だと認識してしまっていたのです。厄介なことに、そこからの人生は、順風満帆でした。
そう、一見は・・・・。
人と協調することを覚え、人間関係もうまくいくようになり、会社では、誰とでもうまくやっていけるようになりました。すごく幸せな人生でした。
そう、一見は・・・・。
会社で何不自由なく、一生懸命に働いてた時です。
・原因不明の全身の痛み
・半年以上続く下痢。
・自分の外見も服装も気にしなくなった。
・時計を見るのがなんだか怖い。
・車の運転をしていても不安で、何度も何度も信号を確認する。
あげればもっと出てきます。そう、心身ともにボロボロになっていました。気持ちもすごく不安定でした。
今なら自分でもその頃の自分を客観視できるのですが、その時は自分で自分の状態がわかっていませんでした。
自分のことを
『メンタルが弱い甘えた人間』
と自分を否定してもっと頑張ろうと、さらに鞭を打つことしかしませんでした。
そんな頃に、ある人から、
・心理学カウンセリングを受けること
・ヨガをすること
を勧められました。
当時の私は、心理学は少し興味が湧いたのですが、正直、ヨガは、本当に行きたくありませんでした。連れられた時は本当に無理して行きました。
しかしそのヨガこそが私の人生を変えることとなったのです。初めて経験したヨガは、全くきつくもない癒し系のヨガでした。
シャバーサナ(最後仰向けでしばらく目を閉じている時間)の時には、はっきりと瞼の中に映像が浮かびました。
今ならわかるのですが、本当に身体と心が限界近くまで疲れていたから起こった瞑想状態で起こる現象でした。
あれだけ嫌がっていたヨガでしたが、その翌日も、他のヨガスタジオに行きました。そしてその翌日も。
そして毎日2回ほど自宅でもヨガの真似事をしていました。そこからはヨガをして心理学を学ぶ日々を、突き進む生活となりました。
突き進むといえばかっこいいですが、正直、ただそれだけしかできなかったのです。後先を考える余裕もなかったです。
その後、会社を退職しました。退職する際は、周りの人はすごく反対しました。自分としても将来の不安は、もちろんありましたが、自分を見つめて、気付いたことがありました。
「私は自分に合わない水の中で泳いでいた」ということです。
これは魚に例えた表現ですが、
・淡水魚は海水では生きられない。
・海水魚は淡水では生きられない。
・淡水魚は淡水でこそ生きていける。
・海水魚は海水でこそ生きていける。
淡水がいいとか、海水が悪いとか、その逆も全くありません。どちらの水で泳げるのかはその魚によりますね?
人間の人生の選択もこれと同じではないでしょうか?どの水が自分に合うのか、全く違う種類のお魚に聞いても答えが返ってくるわけがありません。
その人が生きる水が自分に合うかどうかはわかりません。私は他人が選んだ水で泳ごうとしていました。他人に合う水が自分にも合うと思い込んでいたのです。
以前の私であれば、会社を辞めて、一人でなんの保証もなくヨガスタジオを経営するなんて絶対に無理だと思っていました。一般的なサラリーマンが一番幸せだと思っていました。
いや、周りの価値観に流されて、それが自分の泳ぐ水、生きる道であると勘違いしていたのです。
それがある意味「楽」だったのかもしれません。しかし、ある種のその「楽」したツケが、原因不明の心身の不調に現れていたのです。身体は正直です。その生き方が実は相当に無理があったのでしょうね。
私にわかるように警告サインを出していたのです。一体、何年の間自分に無理をさせてきたのだろうと思いました。周りの人が心地よく泳いでいる水が、自分には合わないことを知らなかったのです。
そもそも私は「幼い頃から独特な感性の子供。10人が右を行っても平気で左に行く。自分の思った通りにやりきらないと、手足をバタバタして全身で抵抗するような子」だったんです。
そこから、自分の選んだ水の中で泳ぐ人生をスタートさせました。人に何を言われようと自分の望む人生を歩く。それこそが私の水です。
ここから、豊橋でヨガスタジオをやりたいと言う気持ちで、ヨガテリアをやっていこうと思ったわけです。しかしながら、ヨガの経験が長いわけでもなく、人脈があるわけでもなく、経営のスキルも、パソコンスキルもない僕がスタジオを立ち上げるのは大変でした。
スタジオをやるまでのお話は別の機会にお話させてください。
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