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ヨガに出会った日。
愛知県豊橋市のヨガスタジオ-ヨガテリア代表SATORUです。
今日は僕がヨガに出会った日のことを全部お話しします。これからヨガを始めようか、ドキドキしている人や、すでに始めている方の、何らかの参考になれば良いかなと思います。
こんな方におすすめ
- ヨガを始めようかドキドキしてる
- 何か行動をしようかと躊躇している
ちなみに「先生は何でヨガを始めたんですか?」というのは僕に限らず、ヨガの先生は必ず聞かれるくらい、あるあるの質問です。それくらい、生徒さんからは関心があるのかな?
ある暑い日。
ある年のお盆の暑い日。これだけは覚えている。本当に暑い日が続き、日本中でその暑さに驚いていた。
精神的にも肉体的にも、かなりボロボロで、実際に身体は健康状態がよくなかった。動機・息切れも起こしていたし、尿漏れも、大漏れ?(っていうのかな)も経験したかどうかは、微妙なくらい。要は、自律神経が乱れてのことでしたが、当時は何も知りませんでした。
「メンタルが弱い」
「情けない」
「病んでる」
そんな悪口を自分が自分に言っていた。休日には、知人と飲み歩くのも大好きだったし、服を買って、着飾るのも大好きな方でしたが、それも興味がなくなっていた。
自他共に「もう歳とったからじゃない?元気もパワーもなくなってきた」と思っていた。何をするにも身体は疲れるし、本屋さんですら行くのが疲れる。立ってられなかったから。
そんな頃に知人に連れられて、嫌々ながらにヨガに向かうことになる。そこで経験したのが、とにかくゆるい癒しのヨガでした。(後にお世話になるグラヴィティヨガ協会のヨガでした。)
ヨガとは意識高い系のOLさんが、柔らかくなって綺麗なポーズをとって、お肌をツルツルにしてナチュラル美人を目指すもの。
と思っていたので、何の興味もなかったのだが、その時、人生で感じたこともないような体験する。
スタジオは、大阪の都心のオフィス街にある立派なビルのテナントで、内装も綺麗系でした。ほらやっぱり、オシャレなOLさんとかきてるんだわ。場違いなところに連れられたもんだなぁ、と思っていた。
参加者は6人ほどしかいなかったが、スタジオも広くはないので、ちょうどよかった。ビルのテナントなので、窓も小さく、ブラインドも閉じているので、夏の日差しの強い昼間でも、薄暗い空間であった。エアコンも程よく効いて、心地よかった。
音楽も静かなヒーリングサウンド。自分では絶対にチョイスしないような音楽だったが、悪くなかった。
太陽がサンサンと降り注ぐ良い天気の日に、太陽の光を浴びるのはすごくしんどいという気持ちを、わかってくれる人はいるだろうか?当時の僕は、良い天気の日の方が気持ちが疲れてしまう状態だった。
精神的に疲れてる時は、それが起こるので、無理に太陽の下や、活気のある場所に出ず、暗い狭い部屋が心地よければ、そこでじっとしておいた方が、良い。そのことは後に学んだのだが、当時は知る由もなかった。
ヨガが始まった。ほぼ寝たまんまのヨガだったが、最後には電気と音楽を消してシャバーサナ(仰向けで瞑想10分)となった。
シャバーサナでは、びっくりするようなことが起こった。
寝てるのか、起きてるのか分からなくなって、想像していることなのか、実際起こっていることなのか、夢見てるのか。それが、ゴッチャになっていた。(それは意識が変性意識状態となっていたのだが、それも当時は知るはずもなかった。「変性意識状態」は後日、解説します。)
でもしっかりと意識はあった。クリアにものを考えられた。明らかにいつもとは違う。こればっかりはその後も簡単には入っていけないゾーンにまで入っていたので、言葉で説明できない。超リラックスと言えばいいのか。
「全てを許してあげよう。」
そう思えた。何を?何を許すの?怒ってたの?へ?それは実は自分でもわからないのだが、全てを許せばいいじゃないか。と思ったのだけは覚えている。
レッスンが終わって、当時の先生に「SATORUさん、豊橋に帰ってもヨガを続けてくださいね」と言われたのですが、照れ臭くて、「いや、やらないと思います」なんて言っていた。
その次の日は、豊橋市に帰ってきて、別のヨガスタジオに行った。家でもヨガの真似事を始める日々がスタートした。
そこから2ヶ月が過ぎた。もうさすがに夏の日差しも弱くなり、秋の匂いがようやくしていたのも覚えている。
ヨガをする生活をしようと思った。
疲れ切った身体。疲れ切った心。もうボロボロだった。特に心の疲れは2-3日休めば回復するようなものではなかった。
食べ物もろくに食べなかった。それでも、外に出て知人に会うと、無理矢理にでもテンションを上げられる自分がいた。だから極力、出掛けなかった。1日中、カーテンを締め切った部屋にこもるのが心地よかった。何時間でもそうしていられた。
どこにも出歩く気がしなかったのだが、ヨガだけは、行く気がした。その頃、今後もヨガをしていこうと思った。どこかで誰かに伝えていけたらいいなと。
レッスンを開いて、もし誰も来なかったら、自分の為だけでもヨガをやっていこうと思った。ストイックに身体が柔らかい人が来るスタジオではなく、自分が知った心地よいヨガをすることを決めていた。
YOGA STUDIO「YOGATERIOR」誕生
ヨガをするときの、空間は大事だなぁ。と当時から思ってたので、YOGA + INTERIOR = YOGA TERIOR (ヨガテリア)とした。景気付けに、雑貨屋さんで、小さなアルファベットで
Y・O・G・A・T・E・R・I・O・R
と買い揃えた。4000円くらいになったと思うが、それを床に並べて見てニヤニヤしていた。笑
やるとは決めたものの、実際大きな声で言うのも恥ずかしかった。何せヨガ歴2ヶ月の、身体も超硬い40才前の男子(おっさんとも言える)である。
サービス業もしっかりやったこともないし、今までの仕事も全く関係がない仕事なので「不安」ばかりであった。不安すぎて、身近な人にも自分がヨガをやっていることも言えなかったし、ヨガスタジオをやって行こうと思っていることも言えなかった。自分に「自信」がなかったのだ。
やるなんて言わなければ、傷つかないと思って、行動できなかったのだ。
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スタジオはほとんどの人に反対された。
当時は、男のヨガインストラクターは滅多にいなかった。(今も多くはないが)
そして、この住宅街にヨガスタジオを作っても、生徒さんは集まらないよと言われた。もちろん僕のことを思って、そうやって優しく引き止めてくれたんだと思う。
だけど、僕にはヨガ以外に何かをするなんて考えられなかった。
そのまま、自信なんてないまま、ヨガスタジオをスタートした。ただ、今から思うと好条件が揃っていた。
その好条件てなんだと思いますか?物件?幸運?違います。
1.逃げ道がない
2.全てが一旦白紙になれた
これは、当時の僕は苦しくて、全てを失ったように思っていたが、角度を変えると、素晴らしい「環境」を手に入れていたのだ。
もう行くしかなかった。
スタジオを自ら改装することにした。
なんとしてでも、自分ならこんなところでヨガをしたいと言う「環境」を作りたかった。自分で壁を剥がし始めるのは、相当に勇気がいた。
これは本当の壁でもあるが、それを壊すのは、心理的にも「心の壁」を壊す作業になっていたのではないかと思う。
↑もう、綺麗な壁紙も剥がしてしまった。もう元には戻れない。
↑床も剥がしていました。ドキドキが止まらなかった。
以前、「ヨガスタジオ製作奮闘記」としてスタジオを作る作業をブログにしていましたが、不幸にも全て消え去りました。
また、時間と情熱があれば、ここに思い出してアップします。
↑壁も塗ったんですね。
ヨガに出会って変わっとこと。
さて、僕が何を言いたかったかと言いますと、「ヨガに出会って、自分らしく生きる」道を選べるようになった。と言うことです。
ヨガに出会ってみんなが職業を変えるわけじゃないし、価値観を全部変えるわけでもない。どんな生き方がいいとか、悪いなんてあるはずがない。
自分が選んだ人生が一番良かったと思えることができれば、一番ハッピーなことではないだろうか。それがヨガテリアのコンセプトでもあります。
どんなにヨガの知識も技術もあっても、自分が生きやい人生を送っていなかったら、ヨガをやっている意味がないと僕は思っています。自分はそうありたいし、ヨガテリアでヨガをする生徒さんもそうであってほしい。
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